元町 [土地のようす]
久々に神戸を訪れました。
元町を歩くことを元ブラと言いますが、懐かしいお店がまだたくさんありました。
花見屋さんのあられとか、YAMAHAとか、明治屋とか。
ナチュラルハウスやパルパローレ、ジェムというショッピングストアも30年前のままありましたが、中に入っているショップはかなり変わっているようでした。
文具の丸善、お菓子の不二家などはなくなっていて、変わりに、新しい店も増えていました。
一時、神戸駅に近いほうの元町はかなりさびれているように感じたのですが、土曜日だったせいか、結構人出があったので、なんだかほっとしました。
中学、高校の頃は、このあたりをよく歩いたものです。
乏しいおこずかいでも、元ブラするだけでリッチな気分になり、元町ケーキのソフトクリームだけでご機嫌だったことを懐かしく思い出しました。
元町を歩くことを元ブラと言いますが、懐かしいお店がまだたくさんありました。
花見屋さんのあられとか、YAMAHAとか、明治屋とか。
ナチュラルハウスやパルパローレ、ジェムというショッピングストアも30年前のままありましたが、中に入っているショップはかなり変わっているようでした。
文具の丸善、お菓子の不二家などはなくなっていて、変わりに、新しい店も増えていました。
一時、神戸駅に近いほうの元町はかなりさびれているように感じたのですが、土曜日だったせいか、結構人出があったので、なんだかほっとしました。
中学、高校の頃は、このあたりをよく歩いたものです。
乏しいおこずかいでも、元ブラするだけでリッチな気分になり、元町ケーキのソフトクリームだけでご機嫌だったことを懐かしく思い出しました。
ももちゃん
なかじま、きよちゃん、しらくら・・
何だと思います?
子どものころお世話になった近所のお好み焼きやさんです。
のれんにはどこも「お好み」と書いてました。
なかじまは、一番好きな店。あまーい「アップル」というジュースと青のりたっぷりのあのお好みの味。
今でも思い出します。
きよちゃんには「あまやき」というホットケーキみたいなのがありました。
しらくらは、一番家に近い店で、「ひやごはん」があると、もっていきました。
するとそばめし風のやきめしに変身させてくれるのです。
ももちゃんは、中学校の近くにあって、こっそり帰りに食べたりしました。
お好みをくるっと香ばしいのりで巻いて、巻き寿司みたいに「てこ」(こて、というところもあるのですね)
で切ってくれました。とても美味しかった。
大阪のお好みは、必ず小皿とはしがつくのですが、神戸のお好みに小皿はなく、そのままてこにのせて食べるのが醍醐味でしたが、この「のりまき」だけは小皿で食べました。
お店はもうありません。
とても懐かしく思い出します。
何だと思います?
子どものころお世話になった近所のお好み焼きやさんです。
のれんにはどこも「お好み」と書いてました。
なかじまは、一番好きな店。あまーい「アップル」というジュースと青のりたっぷりのあのお好みの味。
今でも思い出します。
きよちゃんには「あまやき」というホットケーキみたいなのがありました。
しらくらは、一番家に近い店で、「ひやごはん」があると、もっていきました。
するとそばめし風のやきめしに変身させてくれるのです。
ももちゃんは、中学校の近くにあって、こっそり帰りに食べたりしました。
お好みをくるっと香ばしいのりで巻いて、巻き寿司みたいに「てこ」(こて、というところもあるのですね)
で切ってくれました。とても美味しかった。
大阪のお好みは、必ず小皿とはしがつくのですが、神戸のお好みに小皿はなく、そのままてこにのせて食べるのが醍醐味でしたが、この「のりまき」だけは小皿で食べました。
お店はもうありません。
とても懐かしく思い出します。
足のジャンケン [1950年代の遊び]
足でするジャンケンが大流行したことがありました。
関西の地方では結構足のジャンケンがあるようですが、
私たちがしていたのは、独特のふしをつけて、唄うように踊るようにジャンケンするのです。
歌の種類も何種類かありました。
「ちってさんがちってもってちってもってはってさ・・・」
「ちーってはって、ちてくてちって・・・」
「ぐんかんぐんかん、ちんぼつ・・・」
さいごのぐんかん、ぐんかんというのは、その他の地方でもよく聞くのですが。
ぐんかんがグー。ちんぼつがチー、つまりはさみですね。はれつというのがパーです。
グーは足をとじ、チーは足を前後に開き、パーは足を肩幅に開きます。
その上の2つの歌は、そのグーチーパーの間に駆け足のようなステップを踏んで足を動かすのです。
そうやって素早く動きながら、ジャンケンする、相手が同じものを出したらあいての負け・・・というわけです。
列になってひとりずつ対戦し、勝てば親になります。
親になって一回り勝てば、「いってこ」と言って、一段位が上がるというように遊んでいました。
関西の地方では結構足のジャンケンがあるようですが、
私たちがしていたのは、独特のふしをつけて、唄うように踊るようにジャンケンするのです。
歌の種類も何種類かありました。
「ちってさんがちってもってちってもってはってさ・・・」
「ちーってはって、ちてくてちって・・・」
「ぐんかんぐんかん、ちんぼつ・・・」
さいごのぐんかん、ぐんかんというのは、その他の地方でもよく聞くのですが。
ぐんかんがグー。ちんぼつがチー、つまりはさみですね。はれつというのがパーです。
グーは足をとじ、チーは足を前後に開き、パーは足を肩幅に開きます。
その上の2つの歌は、そのグーチーパーの間に駆け足のようなステップを踏んで足を動かすのです。
そうやって素早く動きながら、ジャンケンする、相手が同じものを出したらあいての負け・・・というわけです。
列になってひとりずつ対戦し、勝てば親になります。
親になって一回り勝てば、「いってこ」と言って、一段位が上がるというように遊んでいました。
タグ:昔の遊び
坂道 [土地のようす]
神戸の町は坂が多いのです。
当たり前の下町を歩いていてもどこかに坂があって、坂道がひとつのさかいめになっている。
坂を下りると、または坂をあがると、街の様子ががらっと違う、なんてことがよくあります。
また、坂の途中に美味しい中華料理やさんがあったり、くしカツやさんがあったり、ちょっと面白いことや素敵なことが潜んでいました。
子どもの頃も、坂から向こうは別世界のような、なんとなくそんなときめきがあって、普段でもあまり坂を越えて遊びにいったりはしませんでした。
だから、余計に坂道にはわくわくしたものです。
大好きな佐藤さとるさんの「誰も知らない小さな国」で、峠というところが出てきます。
峠を境に風の吹き具合まで違ってしまう、峠を越えてモチの木を探すくだりが大好きで、一緒にどきどきしながら何回も読んだものですが、どこに共感しているのか、ずっと、わかりませんでした。
でも、考えてみると、私の身近にあった坂道の感じととてもよく似ていることに最近気がつきました。
坂道は「結界」みたいな気もします。
神戸の坂道はとても素敵です。
当たり前の下町を歩いていてもどこかに坂があって、坂道がひとつのさかいめになっている。
坂を下りると、または坂をあがると、街の様子ががらっと違う、なんてことがよくあります。
また、坂の途中に美味しい中華料理やさんがあったり、くしカツやさんがあったり、ちょっと面白いことや素敵なことが潜んでいました。
子どもの頃も、坂から向こうは別世界のような、なんとなくそんなときめきがあって、普段でもあまり坂を越えて遊びにいったりはしませんでした。
だから、余計に坂道にはわくわくしたものです。
大好きな佐藤さとるさんの「誰も知らない小さな国」で、峠というところが出てきます。
峠を境に風の吹き具合まで違ってしまう、峠を越えてモチの木を探すくだりが大好きで、一緒にどきどきしながら何回も読んだものですが、どこに共感しているのか、ずっと、わかりませんでした。
でも、考えてみると、私の身近にあった坂道の感じととてもよく似ていることに最近気がつきました。
坂道は「結界」みたいな気もします。
神戸の坂道はとても素敵です。
フロインドリーブ [今も昔も]
トアロードのデリカテッセンのハムをフロインドリーブのパンにはさんで食べる。
それは、貧しかった子どもの頃、最高級の贅沢でした。
一年に一回あったかもわからないのに、なぜか鮮明に残っています。
フロインドリーブのパンは固いけど、パサつきはなく、からしマヨネーズを塗ってデリカテッセンのハムをはさむとこの上なく美味しかったのを覚えています。
フロインドリーブを訪れると、柱時計がボーンボーンと鳴ったこと。
買えないんだけど、美味しそうなクッキーなどのお菓子がひっそりと並んでいたことを鮮明に覚えています。
今のように店内が混んでいることはなく、とても落ち着く感じでした。
萩尾望都さんは昔あこがれた漫画家ですが、「なかよし」という雑誌の付録についていた「ケーキケーキケーキ」というすごく素敵な作品がありました。
その作品に出てくるパリの古いケーキやさんの雰囲気は、昔のフロインドリーブの雰囲気を思い出させてくれます。
もう一度あの時計の音を聞きたいと思うときがあります。
それは、貧しかった子どもの頃、最高級の贅沢でした。
一年に一回あったかもわからないのに、なぜか鮮明に残っています。
フロインドリーブのパンは固いけど、パサつきはなく、からしマヨネーズを塗ってデリカテッセンのハムをはさむとこの上なく美味しかったのを覚えています。
フロインドリーブを訪れると、柱時計がボーンボーンと鳴ったこと。
買えないんだけど、美味しそうなクッキーなどのお菓子がひっそりと並んでいたことを鮮明に覚えています。
今のように店内が混んでいることはなく、とても落ち着く感じでした。
萩尾望都さんは昔あこがれた漫画家ですが、「なかよし」という雑誌の付録についていた「ケーキケーキケーキ」というすごく素敵な作品がありました。
その作品に出てくるパリの古いケーキやさんの雰囲気は、昔のフロインドリーブの雰囲気を思い出させてくれます。
もう一度あの時計の音を聞きたいと思うときがあります。
金髪の子ども [1950年代]
うちの祖母はたばこ屋をしていました。
ごく小さい頃は、よく配達についていきました。
三宮のあたりに「専売公社」というのがあって、そこにもよく出かけたものです。
さて、その三宮の山手の方へ、あるとき、祖母と配達に行きました。
配達、と言っても、祖母は自動車の運転ができるわけでもなく、包みを持ってバスででかけていきました。
たばこは軽いので、結構たくさんもてるのです。
神戸の山手は今では「異人館」が有名な観光地ですが、そのうちの1つだったかどうかも記憶定かではありません。
私たちが「洋館」と呼んでいた、大きな家に、祖母と一緒にたばこを届けました。
その帰りのことです。
神戸では当時から、金髪の子どもなどもそう珍しくはありませんでしたが、そのときも街角の電柱のあたりで金髪でブルーの目の子どもが、日本人の子どもと一緒にべったんかなんかをして遊んでいました。
とつぜん、金髪の子どもが、
「おんどれ、何しとんねん。かえさんかいや!」
と滑らかな神戸弁で・・・。
神戸の下町の言葉は、あんまり上品とは言えないかもしれず、なかなか迫力があります。
びっくりしたのを覚えていますが、そんなふうな光景も配達のときにはよく見かけました。
ごく小さい頃は、よく配達についていきました。
三宮のあたりに「専売公社」というのがあって、そこにもよく出かけたものです。
さて、その三宮の山手の方へ、あるとき、祖母と配達に行きました。
配達、と言っても、祖母は自動車の運転ができるわけでもなく、包みを持ってバスででかけていきました。
たばこは軽いので、結構たくさんもてるのです。
神戸の山手は今では「異人館」が有名な観光地ですが、そのうちの1つだったかどうかも記憶定かではありません。
私たちが「洋館」と呼んでいた、大きな家に、祖母と一緒にたばこを届けました。
その帰りのことです。
神戸では当時から、金髪の子どもなどもそう珍しくはありませんでしたが、そのときも街角の電柱のあたりで金髪でブルーの目の子どもが、日本人の子どもと一緒にべったんかなんかをして遊んでいました。
とつぜん、金髪の子どもが、
「おんどれ、何しとんねん。かえさんかいや!」
と滑らかな神戸弁で・・・。
神戸の下町の言葉は、あんまり上品とは言えないかもしれず、なかなか迫力があります。
びっくりしたのを覚えていますが、そんなふうな光景も配達のときにはよく見かけました。






